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遠州織物とは?遠州綿紬との違いをわかりやすく解説|千年続く遠州の織物文化
「遠州織物」と「遠州綿紬」の違いをご存じでしょうか?
遠州織物は静岡県西部の遠州地域で生産される織物の総称で、地域ブランドとして知られています。
その中の伝統織物が「遠州綿紬」です。
本記事では遠州織物の歴史と遠州綿紬との違いをわかりやすく解説します。
目次
遠州織物とは
遠州織物とは、静岡県西部の遠州地域(現在の浜松市周辺)で生産される織物の総称です。
現在は「遠州織物」という名称が地域団体商標として登録されており、地域ブランドとして認知されています。
遠州地域は、日本でも有数の織物産地として知られ、国内外のアパレルブランドに生地を供給しています。
遠州織物の特徴としてよく挙げられるのは、次のような点です。
・細番手の糸を使った高品質な生地
・職人による高い織り技術
・柔らかく豊かな風合い
・小ロット多品種の生産体制
特にシャツ生地の産地としては世界的にも評価が高く、有名ブランドのシャツ生地にも遠州織物が使用されています。
遠州織物とは、単一の織物の名前ではなく、遠州地域で生まれる織物文化の総称になります。 
遠州綿紬とは
江戸時代から続く、遠州地域の伝統織物です。
生地幅36cm~40cmほどの「小幅織物」で、主に日常着として使われてきました。
その特徴として、
●日本の伝統と四季を感じる独特な色合いと柄行き
遠州綿紬は、日本の四季を感じる”日本色”を使っています。
その独特の柄・色合いからは、懐かしさやあたたかさと共に、どこか新しさを感じていただけると思います。
●旧式織機で15~20m/日とゆっくり織ることで出せる(手織りに近い)やさしい質感
1台の織機で15~20m/日という生産量は、現在の製織工場では考えられない少なさです。
50年以上前の小幅織機を使っているため、ムリに高速回転して糸切れを起こすより、ゆっくり丁寧に織ることを心がけており、手織りに布に近い優しい質感の生地になります。
遠州綿紬は別名「遠州縞(えんしゅうじま)」とも呼ばれ、太い縞・細い縞、派手な縞・地味な縞など、多様な縦縞が生まれ、庶民のおしゃれとして普及します。
「縞模様」は、室町時代から江戸時代にかけて東南アジアなどの「島々」から輸入された「島物(しまもの)」と呼ばれるタテ縞柄の織物が語源と言われ、「島」から「縞」という字が使われる様になったようです。
遠州織物と遠州綿紬の違い
「遠州織物」は、遠州地域でつくられる織物の総称。
地域団体商標として登録されたブランド名です。
その中には、
・遠州綿紬
・細幅織物
・広幅織物(シャツ生地、高密度織物)
・浜松注染そめ
などが含まれています。
つまり関係性としては、遠州織物(大きなカテゴリー)、遠州綿紬(その中の伝統織物)という構造になります。
遠州織物は産地ブランドであり、遠州綿紬はその歴史を今に伝える伝統織物なのです。
遠州織物の歴史
平安時代|初生衣神社と織物文化の始まり
遠州地域の織物文化の起源として語られるのが、浜松市三ヶ日にある「初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)」です。
この神社は、平安時代に創建されたと伝えられています。
初生衣神社は、日本でも珍しい織物の神様を祀る神社です。
神社の名前にある「初生衣(うぶぎぬ)」とは、神に捧げる最初の衣を意味すると言われています。
この神社では古くから、織られた布を伊勢神宮に奉納する神事が行われてきました。
この地域では、千年以上前から神に捧げる神聖な布を織る文化が存在していたと考えられています。
この文化が、後の遠州織物産業の基礎となったと言われています。
読み物「遠州織物の聖地 初生衣神社の成り立ち」
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江戸時代|綿栽培と遠州綿紬の誕生
遠州地域の織物産業が大きく広がったのは、江戸時代です。
江戸幕府は農家の副業として、綿花の栽培と機織りを奨励しました。
遠州地域は温暖で日照時間も長く、綿花の栽培に適していたため、多くの農家が綿を育てるようになりました。
農家では綿花を収穫し、糸を紡ぎ、布を織るあという工程が行われるようになり、地域の産業として発展していきました。
こうして生まれたのが、「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」です。
明治時代|豊田佐吉氏と鈴木道雄氏らによる織機産業
遠州地域の織物産業がさらに発展したのは明治時代です。
動力織機の発明により、遠州は日本有数の織物産地へ発展します。
これ以前は、すべて手織りで生地を織っていました。
明治時代の手織り織機でつくれる布の量は、一般的な綿織物で2~3日に約1反(約10〜12メートル程度)が目安とされていました。
それを自動で織れる織機をつくり量産化することに成功したのが、遠州地域を代表する発明家です。
その代表が豊田佐吉氏(TOYOTA創始者)、そして鈴木道雄氏(SUZUKI創業者)です。
両氏が発明した動力織機は、日本の織物産業に革命を起こしました。
一人の職人さんが、数台~十数台の織機を稼働することができ、大量生産と品質の向上につながりました。
大正時代|広幅織物が普及し「遠州織物」の時代へ
1910年代(明治末期〜大正初期)に、動力織機の広幅化が進みます。
洋服が普及し、広幅の生地(洋服地)の需要が急増します。
主に遠州(静岡)、知多(愛知)、泉南(大阪)の産地を中心に、小幅織物から広幅織物へとシフトします。
小幅織物=和服
広幅織物=洋服
昭和時代|広幅織物が普及し「遠州織物」の時代へ
遠州地域において最盛期(昭和30年代〜40年代頃)には、織屋さんが3,000軒以上あったと言われています。
現在においても、広幅織物と小幅織物、そして細幅(紐・テープなど)、浜松注染(浴衣や手ぬぐい)に関わる企業があり、それらを総称して「遠州織物」と呼ぶようになりました。
読み物「スズキ株式会社 徳光卓也様スペシャルインタビュー」
外部リンク「遠州織物の歴史」
まとめ|遠州織物と遠州綿紬の違い
ここまでの歴史を踏まえると、遠州織物と遠州綿紬の違いは次のように整理できます。
「遠州織物」は、遠州地域で作られる織物の総称。
地域団体商標として登録されたブランド名です。
その中には、
・遠州綿紬
・細幅織物
・広幅織物(シャツ生地、高密度織物)
・浜松注染そめ(浴衣、手ぬぐい)
が含まれています。
つまり関係性としては、遠州織物(大きなカテゴリー)、遠州綿紬(その中の伝統織物)という構造になります。
遠州織物は産地ブランドであり、遠州綿紬はその歴史を今に伝える伝統織物なのです。
遠州織物の文化を未来へ
遠州地域の織物文化は、平安時代から現在まで千年以上続いてきました。
神事から始まり、農家の副業として広まり、産業革命を経て、世界へ広がる織物産地へ。
遠州織物には、地域の歴史と職人の技術、そして人々の暮らしが織り込まれています。
そして遠州綿紬は、その長い歴史の中で受け継がれてきた伝統織物の一つです。
遠州の織物文化を知ることで、一枚の布の見え方も少し変わってくるかもしれません。