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授業内容の一部を公開!遠州綿紬の歴史や文化を知ろう

洋服から考えるSDGs

みなさんが普段着ているお洋服、1年間でどのくらい廃棄されているかご存じですか?

日本で一年間にお店などに並ぶ洋服は約30億着。
そのうち廃棄される枚数は年間15億着(約80万t)というデータがあります。
1人10着以上を捨てている計算になります。

世界全体では年間3000億着(約9200万t)にもなります。
2024年には世界人口や約82億人になる予想となり、1人当たり36枚ほど廃棄している事になります。

この数字は実は個人の廃棄だけではなく、アパレルメーカーが廃棄する量も含まれています。
2018年、世界的なアパレルブランドが日本円にして約45億円分の洋服やアクセサリー(未使用)を大量廃棄して問題になりました。
売れ残った洋服を安くしてブランド価値を損なうより廃棄を選択したのです。

現在、洋服やアクセサリーの生産量は供給過多にあります。
この問題について、一人一人が見直す時期に来たのではないでしょうか。

洋服に使う綿花(コットンボール)の使用量

素材に綿を使った洋服の、綿花(コットンボール)使用量を見てみましょう。
※綿花1個の重量は約5g。種などを除くと繊維になるのは2.5gほど。

Tシャツ1枚 約100個(250g)
スカート1枚 約250個(625g)
ジーンズ1本 約400個(1000g)

江戸時代から明治時代に掛けて、日本国内でも綿花栽培が拡大しましたが、今は広大な国土を持つ海外で安定生産された綿花を輸入しています。

綿花が糸になり、その糸を織機で布にし、その布から洋服ができます。
Tシャツ1枚でも皆さんの手元に届くまでに、長い旅とストーリー(加工)があります。
洋服や雑貨には品質表示タグが付いていますので、そのタグから生産国をチェックしてみてください。

普段見かけることのない綿花ですが、ぬくもり工房本店では夏~秋の時期に鉢植えの綿花を店舗で見ていただく事ができます。
それ以外の時期でも、収穫したコットンボールは常時展示しています。
実際に触れたり撮影も可能です。

主に9月~11月ころの秋の季節に収穫

アパレル業界の主たる生産国と賃金

アパレルメーカーは、世界中の国々に製造工場を持ちます。
主な工場のある国々の平均月収を見てみましょう。
※データは2010年~2020年の中で確認できた数値です。
・中国 月収16万円
・インドネシア 月収3万円
・ベトナム 月収2.7万円
・バングラデシュ 月収1.5万円
・エチオピア 月収1万円
・(日本) 月収36万円

日本を含む一部の国では、新品の洋服を安価に購入できます。
SNSの普及でトレンドの変化も早く、使い捨て感覚もいまだあります。
世界トップブランドのバッグ45万円の原価が9000円?という情報が流出し炎上しました。

仕事のない途上国に工場を建て雇用を生み、その国の発展に寄与しているという面もあります。
また廃棄問題の改善も後押しし古着市場が伸びています(メルカリ、USEDショップ、アップサイクルなど)。

皆さんはモノづくりの背景をどう考えますか?
経済の流れを知り、モノの価値を考えるきっかけになって欲しいです。

静岡県浜松市の産業発展の流れ

下記の図は、浜松地域イノベーション推進機構が発行した冊子の一部です。
江戸時代から昭和までの、浜松市の産業発展の大まかな流れが一覧になっています。

図の左上は、江戸時代に綿織物から始まります。
静岡県西部地域(遠州地方)は日照時間が長く温暖な気候で、棉の栽培に適した土地です。
天竜杉などの豊かな木材で織機を製作でき、棉から糸・糸から織物にするまでに使う水もあり、綿織物が産業として発展していきます。

明治に入り、静岡県湖西市にて豊田佐吉氏が機械式の「豊田式汽力織機」を発明。
その後、浜松市にて鈴木道雄氏が動力織機を開発し、ここ遠州は綿織物の産地として発展していきます。
その後、豊田自動織機からトヨタ自動車へ、鈴木式織機製作所からスズキ自動車へと産業が大きく転換していきます。

図左下では、製材から楽器製作への産業が移ります。
浜松市の歴史で有名なお話しですが、山葉寅楠氏は明治時代、アメリカ製オルガン修理の経験をもとに、日本初のオルガン製造を成功させ、その後にYAMAHAを設立します。
オルガン修理から日本初のオルガンが製造を実現できたのは、織機製作に関わる職人(技術者)集団がいたからこそ、やり遂げることができたと言われています。
織物に関わる技術が楽器製作に大きく関わり、静岡県からYAMAHAKAWAIRolandという世界的な楽器メーカーが誕生したということになります。

この図から分かるのは、遠州綿紬のモノづくりが起点となり、楽器やバイク・自動車製造など今の日本を支える産業が生まれ発展してきたという事です。

浜松地域イノベーション推進 平成25年6月発行

遠州綿紬の魅力・特徴

「遠州綿紬」の特徴は主に2つになります。

日本の伝統と四季を感じる独特な色合いと柄行き
遠州綿紬は、日本の四季を感じる”日本色”を用います。
その独特の柄・色合いからは、懐かしさやあたたかさと共に、どこか新しさを感じていただけます。

旧式織機で15~20m/日とゆっくり織ることで出せる(手織りに近い)やさしい質感
1台の織機で15m/日という生産量は、現在の工場では考えられない程の少量生産になります。
50年以上前の小幅織機を使っており、高速回転して糸切れを起こすより、ゆっくり丁寧に織ることを心がける事で、手織りに近い優しい質感の生地になります。

働くことについて

皆さんは「働くこと」について、どのようにお考えでしょうか?
どの業界で働くにせよ、今ある課題を解決しつつ社会に貢献していくことが働く意義だと思います。

中学生・高校生の「なりたい職業ランキング」を見ると、近未来の働くイメージができます。
その仕事や会社は、どんな歴史があるのでしょうか?

近未来を想像するコトと、過去の流れを知るコトは同じくらい重要だと思います。
また自分が生まれ育った街を知ることも、とても重要なことだと考えます。

2023年LINEリサーチ調べ 中学生・高校生のLINEユーザー1,047名への調査

浜松市のすごい!と思う歴史

遠州綿紬をはじめとする遠州織物は、江戸時代に棉の栽培から機織りが拡がり、明治から産業として発展してきたと書きました。
そのずっと昔から、織物の歴史は始まります。

織姫様が眠る初生衣神社

初生衣(うぶぎぬ)神社は、平安時代1155年頃に伊勢から越してきたとされています。
神社を護る宮司さんは神服部(かんはとり)さんといい、この750年ずっと当社を護ってきました。
※現在は引退され鈴木栄男氏が宮司を務めます。

服部(はっとり)という名字の由来は諸説ありますが、機織り(はたおり)が語源ともされ、機織りや服作りに従事する一族を指す名字と言われています。
神服部家は、服部の頭に「神」が付く日本に1軒しかいない特別な家柄であり、全国にいる服部さんの長となります。

奈良は麻織物の産地で神麻続(かんおみ)家が【麻織物】を、神服部家が浜松の地で1155年から【絹織物・綿織物】を守り、伊勢神宮に神御衣(かんみそ)を納めてきました。

七夕で有名な織姫様と関わりのあるとされる神服部家が、750年前から初生衣神社と共に遠州の織物をつなげてきました。
伝統的な七夕と今の七夕の違いとは?

伊勢神宮と日本の神話

初生衣神社が毎年”神御衣”を納める伊勢神宮

皆さんは参拝したことありますか?

内宮の中心には、天照大御神様が御鎮座されています。

天照大御神様とは、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神(おおみおやがみ)です。
日本の国旗の赤丸は太陽(天照大御神様)を表しています。
また神社 本殿の中央に置かれる丸い鏡も、太陽(天照大御神様)を表しています。

初生衣神社では750年前からずっとこの地で織物を織り、天照大御神様の神御衣として捧げてきました。

伊勢神宮に神御衣を納めるおんぞ奉献団

日本の国歌「君が代」から学ぶ”愛”について

日本の国歌「君が代」について、学んだことはありますか?

「君が代」の君は、私たち日本人のこと。
「私たちはトキをこえて、人と結ばれ団結し、末永く繁栄していきますように」
君が代にはそんな素敵な意味があります。

また君は日本国をつくった神様も指します。
「キ・ミ」とは古事記に登場する神様で、この世に初めて性別を持って生まれた神様を指します。
「キ」は男神イザナキノミコト
「ミ」は女神イザナミノミコト
この二人をもって「君」であり「男女」であり、天照大御神様の父母となります。

「君が代」は、二人の男女の愛の歌なんです。

国歌を知ると、そこから日本の文化の一部を感じることができます。

海外の国歌はどんな歌?

海外の国歌や、その意味を知っていますか?

米国 ”The Star-Spangled Banner” → 戦場に掲げる星条旗の歌
イギリス “God Save The King” → 王室と国の繁栄を祈る歌
フランス “ラ・マルセイエーズ” → フランス革命の歌

世界の国々の国歌は、戦いに勝利した喜びやその勇気を称えた歌が多く、国歌からその国のコンセプトを想像することができます。

授業内容の一部を公開!遠州綿紬の歴史や文化を知ろう

この記事は、主に小・中・高校の授業でお話しする内容の一部となります。

約10年前、家庭科の授業で「遠州綿紬」を使いたいと依頼があり、授業で遠州綿紬についてお話しさせていただきました。
その授業を機に、たくさんの学校から講演依頼をいただけるようになりました。

暮らす街の歴史や文化について、仕事や働くことについて。
まず知ってもらう事を大切にしています。
そこから興味を持ち、調べ、学ぶ。このサイクルが良い未来につながると考えます。

地域経済を担ういち経営者として、代表の大高がお話しさせていただきます。
講演のご依頼はお気軽に相談くださいませ。


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