お知らせ
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NICEニュースレター 消費者教育研究204号

NICEニュースレター 消費者教育研究204号に、消費者庁委託事業「事業所見学を通した地域における消費者教育の推進」の詳細を紹介いただきました。

昨年の12/5(土)、「つくり手(生産者)とつかい手(消費者)が繋がる消費者教育の場づくり」をテーマに、ほぼ一日を掛けて当店と生産者(職人)さんの工房見学&糸が布になるまでの体験ワークショップを開催しました。

対象は小学生と親御さん。
コロナ対策の為、人数制限を掛け対策をしっかり施し、実施しました。

普段見れない遠州綿紬の各工程の仕事に、皆さん目を輝かせていました。

私たちにとっても特別な体験となりました。
「体験を経て感じたこと・2006年創業から今まで」を記しましたでの、ぜひご覧くださいませ。

– 代表 大高の記事全文 –

つくり手とつかい手をつなぐ体験ワークショップに関わって

■遠州綿紬とのであい
2005年、家業である繊維問屋 大幸(株)に入社しました。
祖父が1966年に立ち上げた会社で、遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)を始めとした、静岡県西部地域で織られている綿織物を、全国の問屋さん・小売店さんに卸す仕事でした。
祖父が創業した当時は、この地域に1000軒以上の機屋さんがあったと聞いています。

父が2代目を継ぐ中、綿織物の出荷量は年々減少し、会社の主となる仕事も綿織物の問屋業から、寝装寝具の卸業へと変化していました。

私はというと、大学進学を機に名古屋市内の飲食店のアルバイトを経て社員となり、家業を継ぐことを全く考えていませんでした。
お店に来るお客様や先輩スタッフは、オシャレな方が多く、若い世代にもハイブランドの洋服やバッグを持つことがステータスとされていました。私も当時の給料で無理して、ハイブランドのバッグなどを買っていました。

私が24歳の時、父が体調を崩し入院した事もあり、浜松に帰って父の会社に入る事になりました。
まだ私が小さいころ、当時は祖父がまだ現役で、祖父の会社にいっては、遠州綿紬に触れていたことを思い出しました。
大人になって久々に遠州綿紬を見て、「まだこんな昔ながらの織物が残っているんだ。」と思ったと同時に、当時の生活の中で、なかなか目にしない縞模様の織物に、温かさと懐かしさと新しさを感じました。

どのようにつくられているのか興味が湧き、初めて遠州綿紬をつくる職人さんの工房にお邪魔しました。
近代化とはかけ離れた、アナログな現場を見た時に「カッコイイ」と思わず口にしていました。その時の興奮は今でも鮮明に覚えています。

その後、遠州綿紬の魅力に少しずつ惹かれていき、遠州綿紬の販売に特化した事業をしたいと思い、父の会社から独立し、今の会社を設立させていただく事になりました。

■産地とモノづくり
静岡県西部地域は、江戸時代から昭和にかけて、綿織物の産地として栄えてきました。
1000軒以上ある機屋さんの多くは、工賃機屋と言われ、アパレルや問屋さんから指示された織物を納め、織った生地量に対し、織工賃として収益を上げていました。
昭和中期以降、海外からの安価な織物が入ってくるようになり、国内織布のボリュームは今でも年々減少しています。

■視点の変化
あるドキュメンタリー映画を観て、気仙沼湾でカキ養殖をしている畠山重篤さんの、「森は海の恋人」という言葉とであいました。
良質なカキを育てるには、海(漁場)だけでなく、そこに流れてくる豊かな水をうむ森林を育てなくてはいけないと気付き、森林の再生に尽力されていました。

当時の私は、遠州綿紬を売る事ばかりに気を取られ、事業はうまく行っていませんでした。
そこから遠州綿紬の歴史、浜松の産業の歴史などを調べるようになりました。
そこからただモノをつくって売るだけではなく、歴史や想いなどを言葉や形として伝えていく事を大切にしました。

そんな中、浜松市内の中学校の家庭科を担当する先生と出会い、家庭科教材として授業に取り入れていただく事になりました。また私をキャリア教育の外部講師として授業に呼んで下さるようになり、生徒の皆さんに、教材として使っている素材(遠州綿紬)の歴史や、浜松産業の歴史についてお話するようになりました。
その先生をきっかけに、今では多くの小中高校・大学などでお話する機会をいただくようになり、教材としても多数の学校に導入いただいています。
当初は、遠州綿紬を伝えていく事に重きを置いていましたが、生徒の皆さんに地元の事をもっと知って欲しいと思うようになり、暮らしている街について、働く事についてなど、私なりの考えを授業に取り入れる様になりました。
2015年9月、国連で開かれたサミットの中で「SDGs」という目標が掲げられ、私の活動と事業がよりリンクしていくようになります。

同時にエシカル消費についても、考えるようになりました。
「森は海の恋人」の言葉にあるように、遠州綿紬のモノづくりを健全に続けていく為には、売上を伸ばして職人さんや会社に還元するだけでなく、地域の方々に知ってもらい、使ってもらい、愛してもらう必要があると感じました。
そもそも手機織機は、明治時代に遠州の地で動力織機へと進化します。その開発を機に、織機製作の技術が楽器製作、車・バイクへと発展し、遠州・浜松から世界的な楽器メーカーや自動車メーカーが多数生まれした。
この歴史だけ見ても、心が震えます。その感動を、伝えて行きたいと強く思いました。

そこから当社は、地域性やストーリーのある モノやコトを大切にしていくようになりました。
遠州地域における綿の産地としての発展は、豊富で良質な木材による織機製作があったからと考え、2013年にオープンした当社初となるショップは、天竜杉のFSC認証材で建てることにしました。
また当社のロゴは、古来より伊勢神宮に織物を奉献し、神服部宮司が機織り一族「服部」を束ねてきた服部家の長にあたる存在でもある(※現在は別の方が宮司を務めています)浜松市北区三ケ日町の初生衣(うぶぎぬ)神社(ご祭神は機織りの祖神 天棚機媛命(アメノタナバタヒメノミコト))をイメージしてつくりました。
そして、そんな想いが少しずつカタチになるにつれ、遠州綿紬やその商品を採用いただく企業や個人の方が増えてきました。

■体験ワークショップを経て
このような思いで取り組んでいるときに、この企画に声をかけていただき、かかわることになりました。
まず今回の企画をしていただいた皆様、そしてたくさんの職人さんたちに感謝したいと思います。
たくさんのお子さん、その親御さんを丸一日掛けてショップや工房に案内し、そして学んでいただく体験ワークショップが成功した事、時間が経った今だからこそ、企画と運営の大変さを実感できます。
普段目にすることのない遠州綿紬の各工程。見ただけでは理解できない作業もあり、職人さんの話を全集中(笑)で聞いている子供たち。
各工程を回っていく中で、遠州綿紬ができるまでに多くの工程と職人さんが関わっていることを知り、モノづくりの大変さや、その奥深さに触れていただいたと感じます。まさしく、遠州綿紬の地域性やストーリーを伝え共に考える貴重な機会になりました 。

プログラム終了後に、当店に立ち寄ってくれた方がいます。当店のスタッフに、今日体験した事体験の様子を嬉しそうにお話くださったようです。
また当日の学びを、学校で発表された方もいます。担任の先生が「とても素晴らしい発表だった」と、私に報告くださいました。
今回のような体験を通して気付いた価値は、自然な行動としてエシカル消費につながっていきます。
私たちは引き続き、その価値を伝える活動を続けていきたいと思います。
そしてモノづくりも、誰かが手をかけて、育てていかなければ続いていきません。
当社はこの機会をさらなるステップとして、今後も愛されるモノづくりをしていきたいと思います。

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